日本や米国の政治家は,カナダの政治家よりも善人だろうか,それとも悪人だろうか。日本とカナダの法律は,どちらが正しい,だろうか。
quote:米国,ドイツ,デンマークなどでファイル共有を行っている人に対する訴訟が行われており,そのほとんどは著作権保有者の勝利となっているが,カナダでだけは違う結果となっている。昨年12月にカナダの著作権監督機関は音楽ファイルのダウンロードが合法であるとの判断をしめした。そして3月末には,カナダの音楽業界がファイル共有を行っている人の情報の提出をプロバイダーに求めた裁判の判決で,プロバイダーには情報公表の必要がないとし,さらにファイル共有がカナダの法律の下で合法であると述べられた。当面の間,カナダは世界のファイル共有ユーザーの避難所となる。が,今後音楽業界などが政府に圧力をかけ,状況が変わる可能性もある。
国際レコード産業連盟の調査によると,米国でのファイル共有を行っている個人に対する訴訟などによって,ネットワーク上で共有されている音楽ファイルの数は27%減少したという(The Registerの記事)。ただし,この数字をそのまま受け取るようなバカは普通はいない。WinyMXとWinnyの利用者が減れば,ファイル共有ユーザーがいなくなるわけではない。ほかにもあちこちあれやこれやとファイルを公開し,ダウンロードする場所はある。特に海外ではビットトレントによるファイルのやり取りがかなり身近になってきているし(わたしも利用する割合が増えている),最悪,個人でサーバーを立てて仲間内だけでファイルのやり取りをすればよい。ただ単に,27%のファイルはほかの場所に移動しただけのことでしかない。
たとえば殺人を犯している人が目の前にいたなら,できる限り警察につき出した方がよいと思うのは当然のことだ。窃盗でもたぶんそうだろう。転じて,ファイル共有をしている人間を牢屋に入れることが,神の名の下に正しいことだと疑うことなく断言できる人間が,何人いるのだろう? ファイル共有を殺人や窃盗と同じ悪だと決めつけたいのは,ほんの一部の人間でしかなく,よく考えれば,すべての情報の共有と公開は,人間の進化のステップのひとつでしかないと思うことはできないだろうか? 正しい法をつくるのは政治家の仕事だが,ながめていてわかるように,政治家にたる政治家などほとんどいない。多数決でバカの意見が通るのだから,正しい政治家の意見など通らない。昨今の著作権法の論議ででも十分にわかっただろう。だから,ファイル共有をやめる理由など,なにひとつないのだ,ここがカナダでなくても。
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